子どもが生き生きと動き出す!こがねい子ども創作舞台プロジェクトとは?

 
お久しぶりです。ミニこがねい新聞でバイト記者の小林です。 
1月から「子どもたちがお話しをつくって舞台で演じる」というワークショップ、「こがねい子ども創作舞台プロジェクト」がスタート。 
先日その発表が行われたので、ワークショップをのぞいてみました。 
 

【昭和の学芸会のトラウマ】 
かつて小学生だった頃、子ども×演劇と言えば学校の学芸会であり、たったひと言発するために何時間も練習をさせられたり、先生から「感情をこめて!」と言われてもどうすればいいか分からず、普段、絶対に言わない台詞が何か気持ち悪かったり・・と、あまりいい思い出がなかった。 
もちろん学生時代小劇場にも通ったし、演劇は好きだけど、「演劇俳優になるわけじゃないし」と、子どもがなぜ演劇をするのか良く分かっていなかった。 
 
【演劇と学びの関係性】 
「演劇が子どもの主体性や協働性を育てるツールになる」という話を聞いたのはコロナ禍の最中。ちょっと教育関係の難しい話になるが、小金井のGIGAスクール構想では、「主体的な学ぶ力と協働して学ぶ力を身につけさせること」を目標としている。ただ「主体性」と「協働性」を授業で発揮できるかと言えば、これはなかなか難しい。どうしても「学習成果やテスト」というアウトプットが気になってしまう。保護者からも要求が入るし学校も出来高は気にしてしまう。 
 
【大人は「伴走者」である】 
今回の演劇ワークショップは、各2〜3時間・計10回で構成されていて、「演じる完成度」を求めるのではなく、「創作」に重点が置かれている。集まった子どものほとんどが演劇経験はなく、互いに初対面という状況で、すぐに創作は難しい。 
演じる恥ずかしさの解消も欠かせないが、重要なのは協働できる関係づくりだ。事実、ワーク日程の前半は、殆ど「あそびながらの関係性づくり」だった。互いに素直に意見が出せて、相手の意見を聞く関係性を作り出し、次に、考え方はそれぞれ違っていいし、演劇に正解はない。比較しても無意味と考えられる「空気」を子どもたちの間につくっていく。そしてフラットな関係の中でアイデアを出し合い、試しながら作り上げて行く。
学校や習い事などで、常に「できるできない」「比較の呪い」が当たり前になっている子どもたち。「演劇」というフィクションの世界の「言い訳」があるからこそ、「比較」から自由になれる。おそらく普段とは全然違う個性を見せて舞台の上ではじける子どもがいたのもそのためではないかと私は感じた。 
 

 

さらに当初は台本が存在しない。ストーリーは大人が与えるのではなく、子どもたちの日常生活の「あるある」や「女子トーク」「自分の妄想や願望」を元に、ワークの中で作り出す。
ある程度固まったところで、スタッフが子どもたちから話を聞き出して、互いをつなげたり、整えたりしてはいるが、中身は子どもたちが作り出した会話や世界観が、そのまんま使われている。 
そのことは 観劇した保護者の感想からもわかる。「日常のまんまの姿で舞台に上がっていた」「多分学校でこんな会話をしているんだろうなぁというシーンを多く見かけた」。 
 
並行して舞台のCMを映像で制作する班も活動していたが、こちらも子どもの発想を、とことん重視。大人は特殊映像のつくりかたを教えるだけ。台詞にボーカロイドを使ったり、アニメーションをつくったりと、それぞれが自分の感覚を最大限発揮して、足りない所は、大人の技術を利用してCMを作り上げていた。 
一見「独りよがり」とも言えるかもしれないが、それだけ子どもたちの発想が、そのまま表に出たモノとも言える。
(内容はプロジェクトのFaceBookで視聴可能) 
 

【大人は待つのだ・・・】 

「演劇」は正解がない。思いつきや発想はどんどん取り入れる。どう演じるかは子どもたちが対話をして決める。そして発想や思いつきはどんどん受けとめ反映させる。 
一方、子どもが迷ったり考え込んだりするタイミングでは、子どもが動き出すまで最大限待つ。スタッフのこうした「子ども主体」の姿勢が、ワークの最初から最後まで貫かれていた。
(※詳細は文末リンクのFacebook のスタッフリポートを!) 
 
今回、初見の観客は気がつかなかったと思うが、本当にギリギリまでスタッフは、子ども主体を貫いた。 
20日に印刷された仮台本と本番の台詞は、子どもたちの意見や表現により、どんどん変わっていく、照明・音声・舞台監督、すべてのスタッフが、その変更に粘り強く付き合う。 
「主体は子ども」、大人はその伴走者である姿勢が徹底されていた。これだけ綱渡りの創作スケジュールで、「時間がないからこうしなさい」が、ひとつもなかったことが驚きである。 
 

実は、リハーサル直前、体調を崩したメンバーが欠けてしまったチームがあった。スタッフが子どもたちに、「どうする?他のチームに参加する?」と聞いたが、「欠けたメンバーの掛け合い部分を1人で演じる」とチームで乗り切る選択をしたそうだ。 
一方、別チームは本番で台詞が飛んで忘れるシーンがあったが、それを仲間がうまく流れをつくる。どちらも初見の大人は気がつかないリカバーぶり。大人に言われなくても自然と助け合い、協力する力が、本番では遺憾なく発揮されていた。 
 
 
ストーリーは、子どもたちが、それぞれの考えたものをオムニバス形式でたどっていく。 
「宿題を巡るお母さんあるある」のような日常生活や、学生の女子トークそのままのシーンから異世界での女子会三昧に移行する。 
またドラえもんの様な道具や魔法などが使えたり、漫才で爆笑をとりながら大人の常識を少し揶揄したりするなど、ストーリはバラバラだが、「自由な時間や空間が欲しい」、「テストや人間関係がちょっと息苦しい」、そんな今どきの子どもの本音も見え隠れしていたようだ。そして「大人の邪念=子どもはこうあって欲しいという」が全く感じられないことも観劇する大人の想定をいい意味で裏切っていた。 
 
 
 

【ワークショップが残したもの】 
終了後、小金井GIGAスクールの仕掛け人・大熊教育長が子どもたちに語りかけていた。
『「意見が違った⇒試してみる⇒検討する」君たちが今回の創作で行ったことは、AAR(Anticipation・Action・Reflection)という最先端の教育をここで体験したんだ。』
実は、OECD、特に欧米の教育現場では、「演劇的手法」を学校の授業に既に取り入れている。日本でも一部の先進的な地域や高校ではコミュニケーション力をつけるために、「演劇的手法のワークショップ」を導入して成果を上げている。そう、演劇を使って主体性や協働性を引き出す変革は既に始まっている。ようやく小金井にもその一部が来たというわけだ。 
 
「学校でのちょっとした息苦しさ」「テストなどで比較される空気」日常生活の生々しさから、「演劇というフィルターを通すことで子どもたちの心が解き放たれる」そんな瞬間の様子が、大人の我々の心を捉えるのかもしれない。 
 

子どもたちの主体性と協働性を発揮させるには、大人が粘り強く傾聴し、待つことが欠かせない。そして効率性の呪縛や大人の「こうあって欲しい」という邪念が邪魔をすることを、今回のワークショップで痛感した。 
粘り強く子どもたちに向き合って頂いたスタッフの皆さん、コロナ禍にも関わらず、ご協力頂いたボランティアの皆さん、本当にありがとうございました。こうした取り組みが小金井中に広がりますよう!願ってやみません。
明日から子どもの話はじっくり聞く。どうしたい?を引き出せるように心がけよう・・・。そう思う「おっちゃん」ことバイト記者@小林でありました。 
 
(2022年2月) 
 
こがねい子ども創作舞台プロジェクト(Facebook)
https://www.facebook.com/koganei.sosakubutaiproject

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