シリーズ≪パパって何?≫

(ロシアの大文豪トルストイの「戦争と平和」でも舞台となるボロジノ平原にて)
 
私は二人の子供(8歳男児と4歳女児)の父親である。
既に、最初の子が生まれてから8年が経ち、上の子は小学校2年生、一人で友達を誘って遊びまわっている。思い返せば生まれて間もなく仕事の都合で海外暮らしをし、日本語もなかなか話せるようにならなかったことから、夫婦でやきもきしたこともある。実際、3歳くらいになっても、片言の日本語しか話さず、ロシア語も全く話さなかった(我々が暮らしていた海外とはロシアである)。そのような様子ではあったが、近所のロシア人の子供とは中庭で一緒に遊んでいたようでもある。言葉も通じない、好き勝手やっていて全くコミュニケーションが取れていない(ように大人には見える)、でも関心を持って互いに接している。
なぜかそのマンションの中庭には子供用のトランポリンが置いてあって、息子はそれが大好きだったので、子供たちと一緒にピョンピョン跳んでいたのが懐かしい。ほかの子供達がいないと、私も交じってこそこそと跳んだりしていたことが懐かしい(とはいえ、ロシア人の子供には細身の私よりも重そうな子もたまにはいたことは念のため付言しておく)。子供には「子供の領分」があるのである。下手に大人が入って行っても、ろくなことはほとんどない。
 
さて、こうして思い返せばそれなりに長い父親業もそれなりに板についてきた(?)ようでもあり、これからいろいろな悩みが出てくるとも思えるのであるが、父親とは何なのか、いや、むしろ、父親をするとは自分にとってどういうものであるのかということを考えてみたい、ということで筆をとった次第である。

世の父親がどうであるか、全くわからないのであるが、こと私について言えば、父親になる準備も覚悟も全くと言ってないような中で父親となった。妻の妊娠中もあまりしっかりしたサポートもしてやれず、出産にも立ち会えなかった(私はその瞬間ロシアの片田舎にいた。)。しかし、生後一週間程度で初めて我が子に出会い、腕に抱いてみると、軽くて小さくて驚いた。生きていた!その時初めて父親であるという自覚が生まれたのである。このような経験をされた父親諸氏も多いのではないだろうかと、勝手に推測する。
とはいえ、それだから急に父親としてふさわしい行動ができるようになったかというと全くそうではないのが残念ではある。それからは、父親としての役割を時に探し求め、時に教えられ、時には押し付けられていく日々が始まるのである。それは新しい自分を自ら作り上げていく歳月である。人生はいつだって挑戦なのだ!
 
とりあえず初回なので、自己紹介がてらこの辺で終えたいが、息子についてひとつ言うとすれば、一緒に過ごすことで、まるでもう一度「子供」を生きなおしているようで楽しい。もちろん、自分の理想を押し付ける気は毛頭ないが(かなり押し付けているかもしれないが・・・)、それでも彼と、昔自分が好きだったことを話したり、一緒にやったりすることはなんとなくもう一度人生をやっているようで楽しいのだ。娘についてはちょっと違うし、よくわからない部分が多いのだが、可愛いことに変わりはなく、むしろこっちの方が可愛かったりする。仕事をしていると、ときどき彼らを思い出して無性に会いたくなることがある。でも休日一緒に過ごしているとしばしば本当にうっとうしいと思うこともある。夏の暑い日にだっこにおんぶにとせがまれると、正直つらいこともある。まあそれでもいいじゃないか。そういう月日ももうどれだけ残っているのか。できるだけゆっくり育ってほしい。それが望みです。