テレジン収容所の幼い画家たち展

◆2021/1/15(金)-17(日)  宮地楽器ホールにて

 
「テレジン収容所」
その名前を、皆さん知っていますか。 
 
アウシュビッツ収容所の残虐さについては日本でも周知の事実ですが、テレジン収容所も同様に、大戦中にドイツによって作られた収容所の1つです。
現在のチェコ北西部にあたる場所に位置し、当時1万5千人もの子どもたちが労働力として酷使されていました。
しかし、そんな過酷な状況の中、子どもたちのために密かに絵画教室が開かれ、その時に描かれた貴重な絵が数多く残されているというのです。
この展示会を通してその事実を初めて知った私は、どうしても彼らの絵に出会いたいと思い、この展示会を訪ねることにしました。 
 
新型コロナウィルスの影響で、本来開催予定だった昨年5月から延期になっていた今回の展示会。宮地楽器ホールの地下展示場ということもあり、会場に入る時には検温、消毒、そして連絡先記入の徹底など、万全な対策を行ってのものでした。
そんな中にも関わらず、多くの人がひっきりなしに訪れ、熱心に展示を見て回っている様子が印象的でした。 
 
静かな会場を入るとすぐ目に入る真ん中の展示、そこに子どもたちの絵や詩が大きく展示されています。
特徴的なのは、描いた子どもたちの名前がはっきりと示されていること。そしてその名前の横には生年月日と、「〇〇年、〇月〇日 アウシュビッツへ」という文字。
これの意味するものは、その子がその年月日にアウシュビッツへ移送されて亡くなったという事実。あまりに短い人生であったことを、その数字は冷たく私に訴えてくるようでした。 
 
当時テレジンにいた子どもたちは1万5千人。そのうち生き残った子はたったの100人。つまり、1万4千900人の子どもたちの命が奪われた、ということなのです。
「1万4千900人」と一括りに言われても、なんだか曖昧で、その数字の中に潜んでいる一人一人の人生に思いを馳せることはなかなか難しいことではないでしょうか。
でも、名前がはっきり分かっている絵が残されていることによって、その子が確かにこの収容所で懸命に生きていたんだということが、リアルに想像できる気がしました。
綺麗な花やちょうちょの絵を描いた1人の女の子。6歳の私の娘も似たようなテイストの絵をよく描きます。この子も、家族と原っぱにピクニックに行ったりしたのかな、きっと家族に愛されていたんだろうな、生きて綺麗なお花をもっと見たかったよね・・。 
「1万4千900人」の子どもの一人一人に、愛する家族がいて、それぞれの人生があり、ずっと続いていくはずの未来があったはず・・・。 
子どもたちの命のとてつもない重さをどうか忘れないでと、この絵たちは静かに語りかけてくるようでした。 
 
 
展示会のことが心に引っかかり、もっとちゃんと知りたいと関連書籍を漁りながら過ごしていた数日後、「自由」って何だろうという疑問がふと頭に浮かびました。
アウシュビッツ収容所の入口に、「働けば自由になれる」と書かれたアーチがあったことはあまりにも有名です。そしてその言葉通りには決してならなかったことも。
コロナ禍が長引く今、何となく私は窮屈な思いを抱えていました。
子どもたちを連れて自由に外出できないこと、自由に人と会えないこと・・。
今の生活は自由じゃない。そう思ったこともありました。
でも、感染対策が前提ではありますが、行こうと思えば公園やスーパーやレストランにも自由に行くことができます。好きな時間に寝て、好きなおやつやごはんを食べられます。電話越しだとしても、大事な人と話したり励ましたりできるのです。
テレジンの子どもたちが全てできなかったことです。
今ある「自由」に感謝せずに、マイナスにばかり捉えていた自分がとても恥ずかしく感じました。 
 
また、強制収容所を経験したユダヤ人の心理学者が、その体験を記した著名な「夜と霧」において、彼が解放時に嬉しいと感じられなかったという記述がひどく心に残っています。
せっかく「自由」を手に入れたにも関わらず、その「自由」の使い道を、「自由」に考えることさえできなくなっていたのです。
コロナがもう少し落ち着いたら、あそこに行こう。あの人とカフェでお茶してお喋りしよう。子どもたちがもう少し大きくなったら、仕事もしたいな・・。
私はやっぱり「自由」でした。
この心も身体も自由である今に感謝して、日々精一杯生きていきたい、そう思いました。 
 
(Eママ 6歳女児、3歳男児) 
 
 

(テレジンの子どもたちのことをより詳しく知りたい方におすすめ。生き残った子どもたちの心の傷の深さも窺い知ることができる。いずれも市立図書館に蔵書あり)

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