シリーズ≪パパって何?≫(2)~寝る前にお話しする人~

(ロシアの大文豪トルストイの「戦争と平和」でも舞台となるボロジノ平原にて)
 

うちには子供が二人いて、一人は小学校低学年、もう一人は幼稚園児だが、週末の夜は私が寝かしつける。その時に必ずせがまれるのがお話だ。
上の子が幼稚園くらいのときは、だいたい毎晩桃太郎だった。むしろ、「桃太郎の話をして」とせがまれて、毎度同じお話を繰り返していた。それだとこちらも飽きてくるので、ときどき、金太郎や力太郎といった話をすることもあったが、桃太郎を聞きたがった。「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。・・・」
ところが、最近、桃太郎の話をしようとすると、「それはもう知ってるから新しい話が聞きたい」と言いはじめたのである。新しい話といってもそんなに知っているわけではないし、有名な昔話は子供たちもどこかしらで聞いて知っているので、だめなのだ。
 
というわけで私は、自分で考えた話を適当にするようになった。毎度毎度お話を考えるのは大変だと思うかもしれない。いや、確かに大変は大変なのだが、それにはコツがあって、何か子供たちが気に入っているお話などをベースに、それを脚色し、少しずつ筋を変えてバリエーションを作っている。考えてみれば、子供向けのシリーズものの番組と同じ発想である。
例えば、何度も話した話は、ネズミばあさんの話だ。これはなかなか面白いよく知られた絵本があって、保育園の子供二人がおしおきで入れられた押し入れの中で、冒険するという話だ。その中でネズミばあさんという、ネズミどもをいいように操って子供たちを追いかけ、襲わせる悪者がいるのだが、どういう経緯か、私はその話をすることになったのである。

ここでまず、主人公は保育園の男の子二人ではなく、我が子二人になる。そしてネズミばあさんは、小金井中のネズミを支配している人だ。子供が寝静まったころ、小金井のどこかの森で、ネズミばあさんはネズミたちに大号令を発し、寝ている子供たちの家に忍び込んで、その足を齧(かじ)らせるという話なのだ。我が家にやってきたネズミが、洗面所の排水管から這い上がってくる段になると、(電気を消して布団に入って寝る態勢で聞いているので表情はよく見えないが)子供たちは息をひそめて聞き入っている感じが私に伝わってくる。
 
ちなみに何度もこの話をしていると、ネズミが窓から入ってきたり、ドアの隙間から入ってきたり、と適当に話しているのだが、下の娘は小さいながらよく覚えていて、「洗面所の穴でしょ」と訂正してくる。洗面所の穴から這い上がってくるのが、何やら不気味で、真に迫っていて、気に入っているのだろう。何もわからない子供のような顔をして、実はじっと大人の話を聞いて考えているのだ。子供というのは油断ならない。いや、油断してはならないのである。
とにかくネズミが寝室にやってきて、「ひひひ、二人の子供が寝ている。どちらから先に齧(かじ)ってやろうか。上の男の子かな、下の女の子かな?」というと、子供たちは毎度ドキドキしている、はずだ。

ついにネズミが妹の足を齧(かじ)ろうとすると、女の子はびっくりして、突然おねしょをしてしまう!するとネズミは生暖かいおしっこをかけられて、「うえっ、なんだこれは!」と言って、ほうほうのていで退散する。ここで子供たちは喜んで笑い声を上げる。次にネズミは上のお兄ちゃんの方へ行って足を齧(かじ)る。驚いた男の子は寝ぼけながら、おならをしてしまう。「ぶう、ぶりぶり、ぷすう、しゅるしゅる、すうー、ぷりり、すかあー、・・・」おならはいつまでも長々と続く。ここで爆笑だ。だがネズミにとっては笑い事ではない。あまりの臭さに失神してしまう。これは、彼のおならが臭いという事実に基づく筋立てである。さて、翌朝、二人を起こしにやってきた私たち親は、娘のおねしょに苦言を呈し、倒れたネズミを見てびっくりする・・・とまあ、こういう他愛もない話なのだ。
 
しばらくは、これが桃太郎の代わりとなっていた。この話がヒットした理由を考えてみると(そんなことをまじめに考えている自分も滑稽ではあるが)、状況が真に迫っていること、つまりまさに寝ようとしている自分たちを襲うかもしれない(そんなわけはないが)出来事であること、そして、同時に起こるはずのないファンタジーであること、最後に、おねしょをしたり、おならをしたりすることが彼らの生身の現実であるということ、であろうか...。
いずれにしても、怖いような、恐ろしいような、それでいて滑稽で、そして、我ながらばからしい話である。
 
Yパパ(小2男子、年中女子)